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高松高等裁判所 昭和35年(ラ)101号 決定 1961年1月08日

抗告人 津田文雄

相手方 須藤千代枝 外五名

主文

本件抗告を棄却する。

理由

抗告の趣旨及び理由は別紙記載のとおりである。

一、抗告理由第一点、第八点、第一六点について

原審での鑑定人水溪房太郎の供述(記録二九七丁以下)によると、同鑑定人は土器町所在農地の取引の仲介をしたことはなく、小作農地に対する小作人と地主との権利の割合を五対五と鑑定したのは、農協関係の人物より伝聞したところがそうであつたからというのであつて、十分の根拠があるものとは認められない。反つて調査官の調査報告書(同三〇四丁以下)、原審の証人堀家重俊の証言(同三八一丁以下)がより客観的事実を述べていると考えられ、これによると右割合は通常小作人六、地主四であることが認められる。税務処理上の基準は必ずしも客観的事実と一致するとはいい得ない。よつて原審判が鑑定人水溪房太郎の意見を採用せず、右調査報告、証言により右割合を六対四として相続財産中の小作農地を評価したのは相当である。又一般論として地主と小作人の関係は一様でないから、すべての小作地について権利の割合が同率といい得ないことは所論のとおりである。しかし抗告人が例示するような小作人が耕作権を取得するため出金したとか、預け小作であるとかの特別の事情の存しない通常の小作関係にあつては、一地方における小作地の権利の割合は平均していると認めるのが相当である。原審の認定した割合は通常の小作関係におけるものであり、かつ記録を通じ本件相続財産中の小作地に、右特別事情が存在することを認め得る証拠はない。抗告人は耕作者駒松時則耕作田字本村三〇七五番地の一、一反四畝九歩はいつでも返還を受けられるかの如く主張するが、それが独断に過ぎないことは前記調査官の調査報告書により明らかである。又相手方善行が相続開始後相続財産である農地に耕作権を設定したために、その価格が減少したとしても、それは他の相続人の善行に対する損害賠償請求権の有無の問題であり、これら権利の存否は、遺産分割の審判における具体的相続分の確定に当り、しんしやくすべきでないことは後記四で述べるとおりである。所論はすべて理由がない。

二、同第二点、第一〇点、第一五点について

所論証明書は文言自体本件相続財産に対する相続分の抛棄、あるいは無償譲渡の意思を表示したものとは解せられないし、又事実名義人らにその意思がなかつたこと、及び同人らは現在でも相続分を主張し分割を欲していること、少くとも相続分の抛棄、贈与の意思がないことは、調査官の調査報告書(記録九〇丁以下)、相手方横井ツルヱ、天野トヨヱ、青木好子、石井秀子らの回答書(同九三丁以下)、及び原審における相手方横井ツルヱ(同二〇六丁以下)、青木好子(同二〇八丁以下)、天野トヨヱ(同二六五丁以下)の各供述によつて明らかである。よつて抗告人の主張は失当である。(なお生前贈与の有無は後記七のとおりである。)

三、同第三点、第四点、第一一点について

当裁判所も原審判と同一理由により本件宅地、農地はその全部を相手方善行に帰属させるのを相当と認める。 右方法による分割が民法第九〇六条家事審判規則第一〇九条に違背するとは解せられない。抗告人の主張は独自の見解に基づくものであつて採用できないか、その主張のような事情を前提としてもなお前記結論を左右するに足りないものであつて、いずれも採用できない。

四、同第五点、第一二点について

遺産分割の対象となる相続財産は分割時現存するものでなければならないから、所論建物や解体前の部屋がすでに取りこわされて現存しない以上、分割の対象とならないのは当然である。又仮りに右建物、部屋が相続開始後相手方善行により取りこわされ、それによりその余の相続人が右善行に対し損害賠償請求権、あるいは不当利得返還請求権を有するに至つたとしても、これらの債権は相続開始後生じた右相続人らの固有の債権であり、被相続人から承継された相続財産ということはできないから、協議あるいは調停による遺産分割に際し事実上清算するのは格別、審判において各相続人の具体的相続分を確定する上に考慮すべきではない。民法第九〇六条は遺産分割の審判に際し一切の事情を考慮すべき旨規定しているが、右規定は相続人相互間の債権債務も審判の機会に清算すべきことを命じているものではなく、又これを許容しているものでもない。従つて原審判がこれら債権額を確定して相続財産中に算入せず、相手方善行の具体的相続分確定に際し右債権類を控除しなかつたのは正当であり、論旨は理由がない

五、同第六点、第七点、第一三点について

相続関始後相手方善行が収得した相続財産である農地の小作料、自作収益、宅地の占有利益が相続財産に属しないことは、これらの収益がいずれも相続開始後生じたものであることから明らかである。相続財産は分割に至るまで相続人の共有に属するから、これら相続財産からの収益も相続人の共有であると解されるが、しかしあくまで相続財産と別個の共有財産であるというべきである。(民法第九〇九条は、相続は被相続人からの直接の承継であるとする同法の理論に合致させるための擬制に過ぎない。従つて分割の結果収益を生んだ相続財産が相続人の一人に帰属しても、同法案を適用して右分割時までの収益を同人に帰属さすべきではないと解する。)しかも相手方善行はこられ収益を別途保管していることが認められる証拠はない。小作料の如く現実に収得した収益も善行の固有財産に混入してその所有に帰し、すでに消費されたものと認められる。従つてこれら収益を相続財産に算入すべきでない。もつとも善行に対しその他の相続人が前記収得を理由に損害賠償請求権、不当利得返還請求権を有することは考えられる。しかしこれら権利の存在は遺産分割審判において考慮すべきでないことは前記四で述べたとおりである。原審判が相続開始後相手方善行が収得した、相続財産である農地の小作料、自作収益を、相続財産に算入したのは違法たるを免れない。しかし遺産分割に対する即時抗告においても家事審判法第七条、非訟事件手続法第二五条、民事訴訟法第四一四条により、同法第三八五条の適用があると解されるので右違法を理由に原審判を取消すことはしない。

六、同第九点、第一四点について、

相続財産の評価はあくまで客観的価額によりなさるべきである。相続財産に対する特定相続人の愛情価値の如きは分割に際し事実上考慮されることがあるにとどまり、価値を金銭に換算して評価すべきでない。又原審がびようぶ、膳、腕を実質的に相続財産に加える価値がないと判断したのは検証の結果によるものであり、抗告人が無価値と認めたからではない。これら動産がほとんど使用価値、交換価値のない場合は、相続人が特別の愛着を持ち、主観的価値が高いと認められるものでない以上、現物分割の対象として強いて相続財産中に加える必要はない。そして記録を通じ相続人中これら動産に特に愛着を感じ、分割を望んでいる者があることが認められる証跡はない。

抗告人はさもこれら動産に先祖の遺産形見として愛着を持ち、分割を望むが如く主張するが本件申立以来の抗告人の主張、要望を全体的に観察して到底真意であるとは解せられない。又原審はその他の動産は分割時に現存しないことを認定しているのであり、相続開始時存在した財産も分割時存在しないときは、分割の対象とならないこと、その存在せざるに至つた事情の如きは審判に際し考慮すべきでないことは前記四に述べたとおりである。

抗告人の主張は理由がない。

七、同第一七点について

多くの農家では妻が夫とともに耕作に従事する。しかしだからといつてこの場合常に農業が夫婦共同で経営されており、損益は夫婦の両方に帰属すべきであると解するのは速断に過ぎる。けだし経営の主体は夫であり妻はそれを補助しているのが通例であると考えられるからである。原審における前記相手方横井ツルヱ、青木好子、天野トヨヱの供述によると津田家の家業の主体は津田多一在世中は戸主である右多一でありその妻被相続人津田アイはこれを補助していたものであることが認められる。加えるに旧民法(改正前の民法以下同じ)にあつては夫は妻の財産を使用収益することができたのであるから、農地がアイの固有財産であつたとしても、農業から上る収入は経営主体である多一に帰属していたものであることは当然である。然つて原審が多一在世中に結婚した相手方横井ツルヱ、青木好子、天野トヨヱの嫁入仕度が農業収入からの蓄積からなされたものであるから、多一から贈与を受けたものであり、アイからの贈与ではなかつたと判断したのは結局正当である。又原審の認定によると相手方石井秀子が結婚したのは多一死亡後であり、新戸主津田(現姓須藤)千代枝はまだ幼少であつたことは明らかである。前記原審の相手方横井ツルヱ、青木好子、天野トモヱの供述によると多一死亡後農業に専ら従事していたのはアイであつたことが認められる。旧民法において家族は自己の名において得たる財産をその特有財産とすることができた。しかし本件にあつてはアイが自己の名において農業をしていたことを認め得る証拠はない。むしろ当時「家」中心の思想が一般的であることを考えると、アイは自己の固有農地の使用収益を新戸主である千代枝にも許容し、千代枝の名において同女を代理し、あるいは同女を補助して農業に当つていたと認めるのが相当である。原審判が相手方石井秀子の嫁入仕度も農業収入からなされたものであるから、アイからの贈与でなく千代枝からの贈与であると判断したのも正しい。かくて右四名の相手方は本件相続については特別受益者に該当しないから、原審判が旧民法第一〇〇七条(新民法九〇三条)を適を適用しなかつたのは何ら違法ではない。

以上の次第で本件抗告は理由がないから主文のとおり決定する。

(裁判長裁判官 横江文幹 裁判官 安芸修 裁判官 野田栄一)

抗告理由<省略>

参考 原審判(高松家裁丸亀支部 昭三四(家)一三七号 昭三五・一一・三〇審判)

申立人 津田文雄

相手方 須藤千代枝 外五名

主文

一、別紙財産目録にかかげる亡津田アイの遺産はすべてその相続人である相手方津田善行の所有とする。

二、相手方津田善行は右遺産の分割にかえて、申立人および他の相手方五名対し、それぞれ金二六七,五一九円ずつを支払う債務を負担し、この審判確定の日から六ヵ月内に九万円づつ、一ヵ年内に九万円づつ、一年六ヵ月内に八七,五一九円ずつを各先方へ持参または送金して支払うこと、その支払いには各支払金額につきこの審判確定の日からその支払いの時まで年五分の割合で算出する金員を附加して支払うこと。

三、本件審判費用のうち別紙費用目録に記載された分は、これを七分しその一を申立人その六を相手方津田善行の負担とする。相手方のうち津田善行をのぞく五名はそれぞれ右の費用の七分の一に当る金員を相手方津田善行に支払うこと。

その支払時期は同人等が相手方津田善行から前項の第一回の支払いを受けるのと同時とする。

その他の審判費用は各自の負担とする。

理由

本件申立の要旨は、「本件の被相続人津田アイは昭和八年二月六日その本籍地香川県綾歌郡土器村三二四九番・(現在は丸亀市土器町三二四九番地)で死亡し遺産相続が開始したところ申立人、及び相手方等はその共同相続人であるが遺産の分割について協議が整はないので審判による分割を求める。もつとも相手方横井ツルヱ、天野トヨヱ、育木好子、石井秀子は相続分を超える生前贈与をうけているので本件遺産の分割にはあずかれない。」というにある。

当裁判所は当事者の審尋、証人尋問、鑑定、検証、各種の事実調査等を行い、それらの結果にもとずいて次のように認定、判断する。

第一、相続人とその生活状態

被相続人津田アイは昭和八年二月六日香川県綾歌郡土器村三二四九番地で死亡した。同人は当時戸主津田千代枝(相手方須藤千代枝)の家族であつたから、遺産相続が開始した。その相続人は左の七人である。なお津田アイの夫多一は生前戸主であつたが大正十五年四月三十日に死亡し、千代枝が家督を相続して戸主となつていた。

(1) 須藤千代枝大正十二年四月二十五日生。津田アイの長男徳一の長女である。(徳一には他に子供はない。)徳一は大正十四年六月十七日死亡していたので、徳一を代襲してアイの相続人となつた。昭和十九年婚姻し、夫は公務員で岡山市に居住している。

(2) 津田文雄(申立人)大正十四年五月一日生。アイの次男亀雄の長男である。亀雄は昭和十八年分家し昭和二十年十月十三日死亡した。生前は公務員であつた。文雄は亀雄の家督相続人として同人がアイから相続した相続分を相続した。現在家族と共に東京都に居住し高校の教師である。同人の弟は兄の許から大学へ通つている。なお文雄の母フタミ(亀雄の妻)は単身で丸亀市富土見町九九七番地の二に居住し日本生命の外交員をしている。

(3) 横井ツルヱ明治三十四年八月二十一日生。アイの長女である。大正十二年婚姻して丸亀市に居住し、夫は洋服商である。

(4) 天野トヨヱ明治三十七年七月二十一日生。アイの次女である。大正十二年婚姻して丸亀市に居住し、夫は農業兼商業である。

(5) 青木好子明治四十年五月二十一日生。アイの三女である。昭和二年婚姻して丸亀市に居住し、夫は専売公社に勤めている。

(6) 石井秀子明治四十二年十一月二十日生。アイの四女である。昭和五年婚姻して現在名古屋市に居住し、夫は会社員である。

(7) 津田善行明治四十五年一月二十五日生。アイの三男である。丸亀市で本件遺産である宅地へ家を建てて居住している。千代枝が結婚のため昭和十九年二月隠居したあとを家督相続した。現在四国電力株式会社に勤めるかたわらアイの遺産である農地のうち四筆を耕作しているほか同じく遺産である宅地、建物を使用し、小作地の管理をしている。

以上七名の相続人の相続分は平等である。

第二、相続財産について

亡津田アイの遺産としては別紙目録にかかげた農地、宅地、建物、庭木庭石、保管金および相続開始後の農地の果実とがある。

(1) 農拠の現況は別紙目録にしるすとおりである。

右目録のほかに登記簿上津田アイ所有名義となつているものに同所三〇七八の四、田六歩と同所三一〇〇の六、田七歩とがある。しかしこれらは現在道路敷地となつていて相続財産ではない。道路になつたのはアイの生前中ともおもわれその補償をアイの死後受けた事実は認められない。

(2) 宅地三筆は相続財産である建物の敷地であつて三筆が一団となつている。その地上には相続財産でない建物が四棟あり(すべて相手方善行の所有)相続財産である建物と共に相手方善行が住居に使用している。

その建物のうち母屋はアイの相続財産であつた別の家屋をとりこわしその跡へ建ててある。

申立人は相手方善行が右宅地の一部を他へ売つたと主張しているが、かかる事実は調査の結果認められない。

登記簿上津田アイ名義の宅地がほかに二筆あるが、それについては後記(5)を参照。相続財産ではない。

(3) 家屋については別紙目録にかかげたもののみが現存する。

申立人は相続開始当時右宅地上には木造わら葺平家建本家四〇坪のほか部屋、土蔵、納屋(別紙目録のものとは別)、雪隠があつたのに、それらは相手方善行が共同相続人の同意なしに取りこわしたと非難しそれをも相続財産として分割に加えるべきだと主張する。右建物が相続開始当時存在しアイの所有であつたことは認められるが数年前相手方善行がとりこわし現存しないので、遺産分割の対象にはならない。その点について別個に不法行為責任が問題となるかもしれないがこの遺産分割事件としては取上げない。したがつてその取りこわした事情についてもふれない。

本件宅地の西側に現在ある部屋(北側のものとは別)は相手方善行が相続財産であつた部屋を解体の上一部古材を使つて建てなおしたもので前は六畳一間であつたのを十二畳間に改造してあるから、相続財産とは異なる別の建物と認めるべきで相続財産ではない。(検証の結果および善行の説明による)(したがつてかりに右建物を賃貸しているとしてもそれは本件遺産分割と関係がない)

(4) 庭木庭石類はすべて前記宅地三筆の地上にある、その位置や形状等の詳細はそれぞれ検証調書および鑑定書によつて知られる。

(5) 相手方善行の保管金一,四八四円は、もと相続財産であつた宅地二筆(同所三二五四の二,六七,七九坪および三二五四の三,一四五,五四坪)が昭和二十三年十月農地改革に当り宅地買収をうけ津田房吉の所有となつた時、その買収代金として交付され、相手方善行が受領した金額である。

(6) 農地の収益のうち相続財産の果実とみるべきものがあるかどうか、またどうして算定するかについては、自作地に関して農業経営の経費、労働、管理経営の能力、熱意、利潤および自然的条件等複雑な要素を考慮しなければならないので容易に定めがたい。むしろ果実ではないと言うべきかもしれない。ただ少くとも、もしこれら自作地を小作に出していたとしたら取得しえたであろう小作料から公租公課を引いた分だけは果実とみることが可能であろう。小作地についても同様である。申立人は自作地について推定収獲の換価金額から肥料代、人件費、税金等を差引いた残りを収益と考えるべきだと主張するがその点は現実の収穫高や経費もわからないし管理経営の能力、熱意、その他利潤等を考えていない点で採用しがたい。

(7)津田アイ所有の動産については検証のさい、びようぶ、膳、碗があることを確かめた。しかしそれらは破損の程度がひどくほとんど使用にたえない。それらは実質的に相続財産に加える価値がない。

申立人もそのことを認めた。

申立人主張のその他の動産は相続開始当時あつたかどうかも明かでないし現存しない。

その他津田アイを保険者とする生命保険や同人の百十四銀行に対する定期預金、塩田会社株券等もそれらがあつたかどうかその内容などを明かにすることができない。

第三、生前贈与について

申立人は相手方のうちツルヱ、トヨヱ、好子、秀子の四人はアイ生存中に同人から相続分に相当する贈与をうけているからさらに分割を受くべき相続分はないと主張する。なお申立人の初の主張には相手方千代枝についても同じことがいえるとしていたがその後千代枝についての主張はしないもののごとくである。

(1) 右四人の姉妹はそれぞれアイ生存中に結婚しその際当時の価格で五〇〇円ないし一,〇〇〇円程度の仕度を持参していつたと陳述する。四人の結婚は割合短い期間になされたので当時土器村で中流の生活をしていた津田家としては大変だつたであらうし、仕度の程度も普通のものであつたと思はれる。がんらい津田アイ家は夫多一が婿であつたので、アイと結婚してから多一が戸主にはなつたが家の財産は大部分アイの所有名義のままであつた。しかし夫婦は共同で家業たる農業に従事し、子女を養育しまた嫁がせた。息女達を嫁がせるに当つてもサイの財産を売却したとかアイの名義で借金をしてその金で仕度をしたということは認められない。したがつて農業収入から蓄積で仕度をしたものと思はれる。(フタミの供述もそうなつている)その蓄積が夫婦のどちらのものとされたかは明かでない。

しかし旧民法時代のことで当時は妻の財産は夫が管理し夫がそれを使用収益する権利をもつていたのであるし、家のなかで誰に属するか分明でない財産は戸主のものと推定されていたのであるから、本件においても夫であり戸主である多一のものと認めるのが相当である。

したがつて多一生存中に結婚したツルヱ、トヨヱおよび好子(届出は昭和二年であるが大正十五年一月二十一日結婚したことが同人の回答でわかる)についてはその結婚仕度は多一から贈与をうけたものと認めるべきである。

秀子の結婚は多一死亡後で千代枝が幼年ながら戸主であつた当時のことである。しかしその仕度もやはり家族労働による農業収入のうちからなされたと考えるのが相当であるから家族であるアイの特有財産からの贈与ではなく戸主千代枝からの贈与であると認められる。そのさい旧民法時代のことで千代枝は幼年であつても戸主として財産が帰属したことにかわりがない。

(2) もつとも右四人姉妹については同人等名義の「相続分をこえる生前贈与を受けたので遺産については相続権がない」旨の証明書が昭和二十四年に作成されている。

しかし右四人は申立人からこれに署名押印してくれと云はれその内容やその法律的意味を理解することなくこわれるままに署名押印した(相手方ツルヱは当時留守であつて夫が記名押印したという)もので、そのような生前贈与をうけたこともなくかかる証明をする意思でもなかつたといい、本件においていずれも相続分があり遺産分割に加はる権利があると主張する。右陳述は(1)に認定した事実と対比すると一がいに否定しがたい。

一般にかかる証明書は共同相続人中の特定のものに単独相続の登記をする手段としていわば便宜的な相続放棄の手段として用いられているのであつて、本件においても津田フタミの陳述によれば当時司法書士から女姉妹は結婚の仕度に金がかかつているから放棄してもらうとよいと言はれて証明を額むことになつたことがわかる。その間相手方津田善行を含めて全相続人間においてかかる内容の分割協議ができていたとは認められない(したがつて右証明書による登記手続もなされていない)。まして右四人が相続分を贈与したと認めうる資料もない。

そこで(1)にしるしたとおり四人がアイから生前贈与をうけたとは認められないことをも併せて考えるとこの証明書はその作成者の真実の意思によつてできたものとは認めがたく、また真実の状態にも一致せず、これによつて申立人の主張を認めることはできない。

以上(1)、(2)に説明したように申立人の主張は認められない。

なお、相手方千代枝についてはアイ死亡後の結婚であるからアイから結婚にさいして贈与をうけるということはありえない。その他、津田アイが保険契約者となつて相手方善行を被保険者として金額千円の二十五年満期養老保険に入つていたことが認められるが、それによつて相手方善行がどれだけの生前贈与を受けたのか不明である。また本件当事者が中等学校へいつた学資についてもアイの生前贈与なのかどうか明かでない。そこでこれらは遺産分割にあたりとりあげない。

要するに本件当事者にはアイからの生前贈与はなかつたと認められる。

第四、相続財産の評価について

(1) 農地のうち小作地の地主対小作の権利の割合は本件の場合地主四に対し小作六と認めるのが相当である。(鑑定人水溪氏の意見を採用せず、調査の結果と堀家証人の供述による。)

なお申立人は本件農地のうちにはいつでも返えしてもらえる田がありその分は地主の権利が五であると主張するが、農地の貸貸借は当事者間の契約だけで解約することはできないのであるから右主張は採用しない。

農地の自作地としての価格は水溪鑑定人の評価による。

したがつて各筆の評価は別紙目録のとおりになる。

(2) 宅地、建物については水溪鑑定人、庭木庭石類については神高鑑定人の評価による。その内容は別紙目録のとおり。

(3) 問題は農地の果実の評価である。その点については前述のように農地の小作料(自作地については小作に出したと仮定して)から税金を差引いた額によることとする。

当裁判所の調査の結果によると昭和二十七年度から昭和三十四年度までについては小作料と税金とが判明するが(昭和二十七、二十八年の小作料は一反最高六〇〇円である)、それ以前の分は明らかにすることができない。申立人が提出した資料は戦後の分に現物小作料による分があつたり、税金のうちに宅地の税金が含まれていたり、税金の額について昭和十二年から十七年、二十一年、二十二年等に不審の点があつたりして、採用することができない。

ところで昭和二十七年から昭和三十四年までの間は、

小作料      税金  果実とみるべき分

二十七年  四、二六〇円 三、六〇〇円    六六〇円

二十八年  〃      三、五〇〇     七六〇

二十九年 一〇、〇一三  三、九七〇   六、〇四三

三十 年  〃      四、六八〇   五、三三三

三十一年  〃      五、一一〇   四、九〇三

三十二年  〃      五、一一〇   四、九〇三

三十三年  〃      五、六九〇   四、三二三

三十四年  〃      五、六九〇   四、三二三

合計 三一、二四八円

となる。(丸亀市農業委員会と丸亀市長の調査官に対する回答及調査の結果とによる)

相続開始した昭和八年から昭和二十六年までの二十年間については前述のとおりそれを確定することができない。

しかしその間の貨幣価値の変動を考えると合計しても一万円以内だらうと推測される。とすれば、相続財産の価格にしめる割合は一%にたりない。したがつて現在ではその分を不明として除外するのもやむをえないし、それによつて大勢に影響することもないと認められる。

(4) 以上の次第で相続財産の総額は一、八七二、六三二円となる。

第五、分割について

(1) 相続人一人の相続分は二六七、五一九円である。

(2) 申立人は強く現物による分割を希望している。

そのうち宅地については、検証の結果によると三筆の土地が一団をなしていて周囲が三方は塀で他の一方は隣家でかこまれその内に五棟の建物がばらばらに建つていて、地形的にみて分割に適しない。また納屋を申立人に所有させることも同様に適当でない。もつとも宅地の一部例えば申立人のいう東北隅の二十坪位の空地を分割することは必ずしも不可能ではない。しかし右地形的考慮のほかに申立人やその母フタミと相手方善行との間の長年の紛争、深刻な感情的対立を考え、また申立人は東京都に居住し高校教師であること(同人は帰郷の意思を明かにしているが具体的ではない)その母も丸亀市内に住居があつて保険外交員をしていること、これらの宅地建物を善行一家が使用し農業をも兼ねていること等を併せ考えれば、申立人の主張するような宅地、建物の分割は当事者のために適当でない。

やはり宅地、建物は善行の所有とするのが適当である。

(他の相手方に宅地、建物を分割する必要はなく適当でもない。)

そうなれば庭木、庭石についても善行の所有とすることが相当である。

(3) 農地の分割について

申立人は農地の分割をも強く希望している。

しかし前記のように申立人は現在東京に居住し高校教員である。その母フタミは丸亀市に居住しているが年令五十五才で日本生命の外交員をしていて農耕の経験はない。申立人の弟も現在東京で大学へ通つている。申立人は近い将来帰郷してもよいと言つているがそれも具体性に乏しく必ずしも期待しがたい。

右の事情を農地法第三条、第六条をはじめとする農地法の規定のもとに考えると、申立人に農地を分割することは適当でない。申立人は将来農地を保有しうる見込みがあるようにいうが、農地法の規定や堀家証人の証言からして信用しがたい。相手方善行は相続財産の農地四筆を耕作し小作地についても管理をしている。その他の相手方はそれぞれ他家へ嫁している。そのうち丸亀市に居住する三人も結婚してから既に三十年以上たち必ずしも農地の分割を望んでいない。岡山と名古屋に居住する二人はもとより農地の分割を希望するとは思えない。

右の事情であるから、本件遺産たる農地はすべて相手方善行に帰属させるべきものと認める。

(4) 相手方善行の保管金、農地の収益はともに善行が受領してあるから善行に帰属させる。

(5) 右の結果別紙目録の遺産はすべて相手方善行の単独所有とし、そのかわり同人は他の相続人に対しそれぞれ二六七、五一九円宛の債務を負担することとする。

その支払方法については遺産の内容、各当事者の生活等を考慮しこの審判確定の日から六ヵ月毎に各九万円(但し第三回目は八七、五一九円)づつに分割し先方へ持参又は送金して支払うこととし、右金額には審判確定の日からの年五分の割合による利息をも附加すべきものと定める。

(6) 本件審判費用の負担については別紙費用目録に記載された費用について、申立人をしてその七分の一を、相手方善行をしてその七分の六を負担させることとし、その他の費用についてはすべて各自の負担とする。

また相手方善行が負担した右費用については、同人をのぞく他の相手方がそれぞれその六分の一づつつまり目録の金額の七分の一づつを相手方善行に支払うこととし、その支払期を善行から前記第一回分の九万円を受領するのと同時と定める。(家事審判官 水上東作)

別紙目録<省略>

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